連載◎第1回火のある暮らし。2008年3月16日更新

薪を集めて。

 冬の日は短くて、3時を過ぎれば陽射しはみるみる弱まり、足元からしんしんと冷えてくる。 鳥が2~3羽、チチチと声を掛け合い巣へと戻ろうとする頃、「よいしょ」と呟いて私も夕方の一仕事に取りかかる。

 山小屋のお風呂は、いまどきこの集落でも珍しい薪で焚くタイプ。いわゆる五右衛門式である。 建物の北側、浴室のある壁面の地面すれすれに設けられた高さ20cm幅30cmくらいの焚き口から薪をくべて、風呂窯を暖める。

 まずは新聞紙を棒状にねじったものの上に段ボールの切れ端、雑木林から拾い集めた小枝をふんわりとセットし、火をつける。 ここで小枝の量はケチケチしてはいけない。炉全体にふかふかとした絨毯のようになるくらいたっぷり使う。
 続いて薪をくべていく。最初は細めの簡単に火の移りやすいものを、徐々に太さのあるものを。この段階ではまだ投げ入れたりはせず、 恐る恐る交互に斜に立てかけるようにして、空気の通り道を残すように。扉を閉めて、空気孔は全開にして、しばらく様子を窺う。
 やがて扉の向こうからパチパチと薪のはぜる音が聞こえてくる。初めはかすかに、徐々に威勢よく競い合うように。こうなったらシメたもの。 手のかかる部分の大半はここまで。あとは10分おきくらいに覗いて薪を投げ込んでいくだけ。

 こんなふうにスムーズに進めば、毎日の風呂焚きだってそんなに苦ではない。 けれども、雨や雪が続いて薪棚に置いていた薪が湿っていたりすると、作業は一転、苦役となる。

 小枝で十分暖めたところへ薪を重ねても、まったく火が移らない。 シュウシュウとガスの漏れるような音がしてくすぶるばかりで、炉内はあっという間に真っ暗になる。
 こうなると新聞紙からやり直し。新聞紙→小枝→薪→シュウシュウ→鎮火。繰り返すうちに泣きたくなってくる。 焦って順序が雑になり、余計に点かない。手も顔も煤だらけ。頭上でカケスがギョッギョッと笑っている。

 一時間程の格闘の末、あのパチパチという音が聞こえて来た時には跪いたまま、 思わず手を合わせて拝みたくなる。火の神様、降りてきてくれてありがとう!

 疲れて帰宅した日などは、ボタンを「ぴっ」で沸かせるお風呂が恋しくなることもある。 氷点下10℃以下にまで冷え込む真冬は、空気も水も氷のように冷たく、お湯になるまでに2時間以上かかることも。

 それでも、木から木へ踊るように回っていく炎を眺めるうちに、さっきまでの荒くれた気持ちは消えて、 ついでにその日にあった面白くないことや抱えていたモヤモヤしたモノまで連れ去ってくれるように、スーッと心が真っ白になる。 炎の揺らぎには、人の心を静める効果があるというけれど、火と向き合い、時に取っ組み合う(!)この時間は、 忙しく過ぎる毎日を「一時停止」して、頭を空っぽにするのにちょうどよい。私にとって、日々の暮らしのリズムを刻む、大切な時間の一つになっている。

炎を見つめる。

 煙突から白い煙がたなびき始める頃、辺りはすっかり日が暮れて、 雑木林の向こうに浅間山のシルエットが黒々と浮かび上がる。かじかんだ手を擦りながらほうっとため息をひとつ。
  さて、この後は冷えた身体を温か〜いお湯がほぐしてくれる至福のバスタイム。焚きたてほやほやのお風呂へいってきまーす!

このたび、ダイコク中澤社長からのご提案で、連載コラムを担当させて頂くことになりました。 これから月2回のペースで、森の暮らしにまつわるお話、信州近郊の気になる場所・ヒト・モノについてのトピックをお届けしていきたいと思います。
1杯のコーヒー片手にのんびりとお付合い頂けたら幸いです。どうぞよろしくお願い致します!

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